
ご縁があり、地元に残る“遺跡のお手入れ”に参加させて頂いております。
私にとっては、自身を成長させてくれる場であり、先祖や先人たちに思いをはせ、後世に歴史をつなぐ役割を感じさせてくれる場であるとともに、人との新たな出会いの場でもあります。
私自身は、10年間の心の病を経験する中で、最近ようやく自分を見つめ直し、妻や友達・同僚などの横軸としての関係とともに、縦軸である親や子、そして先祖また先人たちとの関係性の中で今の自分が生かされていることに気づき、病を克服することができました。
古代からつながる歴史を改めて学び直すことが、病からの回復の一助ともなりました。
今の私にとって、このような活動に参加させてもらえることは、先人たちとのつながりを感じ、生きる意味を感じさせてくれる大切な場と時間となっています。
日本は、現在、戦後から高度成長期を経て経済・物質的文明の停滞期に入り、家族構成も核家族化し、地域のコミュニティも形骸化する一方、ネットの普及により新たなコミュニケーション手段が増え、ネットでの中の繋がりが出来ていくなど、社会形態も多く変化しています。
また、利便性の高いデジタル社会に向かう動きとは別に、自然回帰の動きも大きくなっています。
まさに現在が大きな変化のただ中であり、新しい関係性の世界への重要な岐路に立っているのだと思います。そして、今後は、物質的豊さと精神的豊さの融合された世界へと向かっていくように感じています。
縄文から連なる祭祀や精神性の高さ・自然との共生力など、各地域に残る遺跡・伝承を紐解くことが、精神的豊かさへの追及のヒントになるかもしれません。
古代より先人たちは、長い時間をかけ、自然の中で、多くの失敗を重ねながら、科学ではなく実体験をもとに、生きる知恵や伝承を作り上げてきました。
現在の私たちは科学が進み、先人たちよりも遥かに物事を理解しているように錯覚し生活していますが、現代の科学では、宇宙にしても全体の内、物質約5%しか理解できていませんし、生命や生物、歴史の謎は多く残ったままです。
先人たちの知恵や伝承は、今は非科学的に見えるかもしれませんが、将来、科学がより進歩した時に、初めて理にかなっていたものとして、理解されるものが多いように感じます。
このような先人たちの残してくれた知恵や伝承・遺跡は、一度でも失うと復元は不可能となります。
つまり、今残されているものを子孫につなげていくことが、今を生きる私たちの重要な役割だと思っています。これが私の“遺跡のお手入れ”に共感し、参加している理由の一つです。
残されている遺跡の場所についても、鉱脈上にあったり、津波の到達地点といった目印であったり、天文や自然の観察の中から重要な意味を持って、そこに配置されている所も多く、今の科学では理由が分からなくとも、将来の人々が、物質的もしくは精神的な力を手に入れるための重要な場所なのかも知れません。
個人的に好きな歴史分野でも、素人でもネットで古代文献を読めるようになった今、地域に残された遺跡や伝承が重要な情報となり、多くの人に共有されることにより、謎に満ちた古代史が解明されていくように思います。
この“遺跡のお手入れ”に参加して、思い出されるのが、世界に誇る生物学者であり民俗学者である“南方熊楠”です。日本の大きな変革期であった明治時代に、政策により多くの寺社が整理され、同時に鎮守の森も無くなっていく中、自身の研究のための貴重な時間を犠牲にしてまでも、運動を繰り広げ、熊野の歴史と自然・生態系を守り、そして、現在、世界遺産ともなり、私たちに大きな財産として残してくれています。
明治の変革期と同じ、変化の時代を迎えた現在、個人一人では、偉大な先人・南方熊楠のような功績は残せないですが、“遺跡のお手入れ”に参加する人が増え、思いが共有され、活動が広がることが、大きな力となり、後世に知恵と歴史と自然を残すことにつながると思います。
個人的な人生の転換期に、このような活動に出会うことができ、毎回参加するのを楽しみにしているのですが、その楽しみの一つが人との出会いです。初めて会う人がほとんどで、おそらく参加への思いも違い、年齢もバラバラで職業も役職もよくわからないまま、遺跡のお掃除をして、話をしていくのですが、出会う皆さんに共通して感じるのは、自分の心に正直で、一所懸命、そして楽しんで今を生きている人が多いというところです。
時代が大きく変わるという面白い時代に生まれ、新しい時代・世界の形成に向けた動きの一つであろう、“遺跡のお手入れ”のような活動に参加でき、多くの方と出会えることは、喜びに堪えません。
ここで繋がる縁が結われ、円となり、その輪がより一層大きな和となることを願います。
そして、このような場を提供頂いた徳積財団及び関係者の皆様に改めて感謝申し上げます。










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