徳積堂カフェのはじまり
世界にカフェがあるように、日本にも古来からカフェの役割を果たしていたところがあります。それを御堂ともいい、茶堂ともいいます。むかしよく時代劇などを見ていたら、村の小高い場所や、みんなの集まりやすい場所にはお寺やお堂があります。そして峠や辻などの境界には茶堂があります。四国はお遍路さんがあったので多いといいますが、その建築物は茅葺の小さな建物でその三面に壁がなく、いつでも誰でもどこからでも上がれるようになっています。ここには、 村人たちの憩いの場であり、通行人や旅人、商人たち、あらゆる人々が村人からお茶などのおもてなしをうけたり情報交換をした憩いの場であったといいます。禅語で有名な「喫茶去」がありますが、これはいつでも、どこでも、誰にでも同じ心でお茶を点てることを意味するそうです。つまり「特別なことをしようと思わず、いつも通りに平常心にお茶を点てることが大切である」ことを説いているといいます。穏やかな心で、いつも通りにお茶を点てることでみんなが安心するのです。
私は茶堂や御堂は、いつも心を開いて平等に分け隔てなく刷り込みなどもなく「いのちそのもの」を尊重し合う信頼の場ではないかと感じています。お茶の接待を受けるということは、裏表のない真心でお茶を点てるということです。そしてそれはご縁を大切に一期一会で巡り合えた奇跡に感謝し合うことでもあります。私たちは少しでも時間や場や関係がズレればお会いすることはありません。御縁がなければ目に留まることもありません。それだけご縁は縁尋奇妙であり、そのご縁の仕合せを私たちは全身で味わうことができるのです。それを一杯の差し出したお湯やお水でというのが根源的なつながりを直観させるように思います。
仏教には、山川草木悉皆成仏という言葉があります。この世のありとあらゆるものは、仏そのものであるということをいいます。そして神道には、八百万の神々といってこの世のすべては神様であるともいいます。つまりは、分け隔てなく遍くものをあるがままに認め合う世の中を創造しそれぞれのいのちを自然のままによろこばすこと。私はそれを「かんながらの道」とも言いますがこれを実感することで人は大切な懐かしい何かにふと気づくように思います。そして「徳」もまたこの普遍の真理そのものを顕していると私は思います。
徳積堂をオープンする理由は、「徳の循環」です。功徳を積むことで自分も楽しく、みんなも喜び、そして世界が仕合せになっていく真に豊かな未来を創ること。本当の人間の仕合せはほんの小さな日々の足るを知る暮らしの手入れの中にあります。それを私は「暮らしフルネス™」と定義しました。この「徳積堂」カフェは、一つの徳積循環の社会実験の「場」として日本の飯塚市にオープンしました。一般的なカフェとは異なり、同じ祈りを生きる仲間や同志を集めかつての御堂や茶堂を今の時代に復古起新して子どもたちにそのご縁を伝承していきたいと思います。ここから新たな懐かしい未来のクニづくりをはじめていきましょう。
徳積堂カフェとは
徳積堂カフェとは、現代人たちが文明とともに捨ててきたもの、功利主義の中で不必要と選別してきたものをもう一度拾い集めて丹精を込めて修繕して場に甦生させました。私にとっての「徳積み」とはまさにこの「修繕すること、手入れすること、磨くこと」が原点になっています。つまり徳は甦生することで永遠に徳を循環をし続けるのです。この徳の循環を意識して生きるための要諦は、「人の道」(人道)を盡すことです。かつて報徳の実践家であった日本の偉人、二宮尊徳はこういう道歌を遺しています。
『人道は物を修繕するの途(みち)なり。之を怠れば法の無き昔に帰る。是即ち禽獣なり。』
人として何がもっとも大切なのか、それはモノを大切にして修繕し続けること。これをしなくなれば、野生動物たちと同じではないかと。まさに、人間として人間であることがどういうことかをわかりやすく説いています。そしてその人道を生きた二宮尊徳の一生を物語る言葉があります。
『むかしより人のすてさるなきものをひろひあつめて民にあたへん。』
徳積堂カフェは、この徳の循環でできた「徳循環の場」です。ぜひ、この徳積堂で徳の循環を体験してみてください。
※徳積堂カフェの役割
「お堂」の堂という字は、会意兼形声文字です(尚(尙)+土)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」でできた字です。意味は「こい願う」と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」を現します。そこから、「高い建物・神社・寺院」を意味する「堂」という漢字ができたといいます。この堂は、 古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。そして神仏を祭る建物。さらには多くの人が集まる建物で呼ばれました。
この堂というと、イメージするのが三十三間堂や、平等院鳳凰堂、他にも大聖堂など神仏をお祀りするところを思い浮かべます。ひょっとすると現代では、お菓子屋さんの名前や広告代理店の名前、本屋さんとかいう人もいるかもしれません。しかしかつては、辻堂やお堂といって村々や町の中でみんなが集まり親睦やコミュニティを育むオープンな交流拠点であったのです。他にも、山伏たちが休む室堂であったり、茶堂といって茅葺でできた旅往く人たちをもてなしたものもあります。日本には古来から人々をもてなす風土信仰があり、その風土信仰を支えた場の一つがお堂だったのです。つまりはこの「堂」の持つ意味を考えてみると、読んで字の如くその「土地の風土と信仰と交流を見守る大切な場所」ということでしょう。なんとなくお堂が温かく懐かしい感じがするのは、お堂が地域を支えてきたことを心が憶えているからでしょう。今では、西洋的なカフェがその役目を果たすようになってきていますが日本では「お堂」が役割を果たしたのです。最後に、有名な言葉に「堂に入る」があります。これは論語の中で、孔子のいう「堂に升りて(のぼりて)室に入らず」が語源ですが堂に入るは「堂に升りて室に入る」を略した言い方で、客間にのぼり奥の間にまで入っていることから、奥義まできわめていることを表します。徳積みの修業はまだまだはじまったばかりで終わりは永遠にありません。なぜならこれは人類の欠かせない修業であり、未来永劫子孫たちが担っていく大切な徳目だからです。人々が子孫のためにみんなで堂に入るために磨いていく場。
まさに徳積堂は、子どもたちの未来のためにも欠かせない大切な徳の場になっていくと確信し、懐かしい未来が到来することを心から祈念しています。

徳積堂の初心と
大切にしていること
私たちはモノを捨てる暮らしから、捨てない暮らしに転換していく時機を迎えています。資本主義も成熟し、私たちは物質的な豊かさはもう十分すぎるほど手に入りました。また成長し続ける生き方を休め、降りていく生き方を通して心や魂の豊かさを味わうことが人類に永遠の仕合せをもたらせていきます。そのためには、私たちは「修繕」をしなければなりません。文明とは、壊し捨てることで発展させてきましたが、文化とは修繕しお手入れをすることで真の豊かさを反映させていくものなのです。徳積堂は、むかしの道具を修繕しお手入れをして今の時代に相応しいものに甦生させて場をととのえています。この場に来れば、「徳」の意味を学べ、徳を積むことの偉大な価値に気づくことができるはずです。
ここでは、徳積堂の道具たちや持ち味をご紹介していきますがぜひこの場に足を運んで空間の中にある徳を一杯のコーヒーとともに味わっていただきたいと思います。
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百年以上活躍してきた水車の歯車を火鉢に甦生し鉄瓶にかけてお湯を深々と沸かします。備長炭の優しいぬくもりと薫り、やわらかい水が心を潤します。
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伝統的な日本の植栽や白川砂利、また苔や盆栽など日本庭園の調和を楽しむことができます
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奇跡的に地球の奥深くから現れた神代欅をカウンターとして甦生させました。落ち着いた深緑の色から時代を超えた生命力を感じます。
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伝統的な陶器や和紙、銅器を使い丁寧に真心を込めてコーヒーやお茶をたてていきます。そのプロセスへの心配りや優しさが道具と調和しています。
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圓窓を用いて、この世とあの世の境界線が味わえるように演出しました。心まるく、一円に結び時を超越します。
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玄関にある障子で朝は光を通して明かりをやさしく包み、夕方には風をよく通します。陰影のゆらぎが心の礼賛に響きます。
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床下をはじめ2トン以上の備長炭を使用、多様な宝石約80キロとともに場に入れています。伝統のイヤシロチの空間や場ができ、居るだけで心が落ち着きます。
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火鉢に菊炭をいれてじっくりと火のぬくもりと水のやわらかさを一人ひとり深く味わいます。灰になっていく時間軸、いのちの刻を実感し自然のリズムを体験していただけます。
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箪笥の扉などで捨てられているものを集め、パッチワークのように継ぎ接ぎをして甦生させました。個性豊かな扉が調和する姿に心が癒されます。
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割れてしまった乳白ガラスの骨組みを敢えて魅せることで、場の全体の透ける明るさを演出してくれます。透き通る雰囲気を心に照らします。
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寺院にあった大工の意匠を甦生させ、床の間の上に配置しています。蓮の花をはじめ、丁寧に彫刻された細工で心が落ち着きます。
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窓を開ければ開放感のある美しい景色に包まれます。空と水と光が天地で結ばれ、広い空間の中に溶け込みます。

